留学仕事人生い立ち(留学キャリア開始)
留学から帰国したのは1986年6月だった。
当初、南カリフォルニアボケで正直格好も志向も浮いていたと思う。2年ぶりの日本はお札も変わっていて、やたら外国人労働者が増えていた。
家のキッチンの高さが凄く低く感じ、以前はぜんぜん気にならなかったタバコの煙が耐えがたくなっていた。ドアに鍵がかかっていないことがとても気になり、いつも鍵を閉めまくっていた。
帰国の翌日に、約束どおり世話になった留学エージェントを尋ねた。私が利用した当時から倍の大きさになっていたが、まだ以前と同じおんぼろビルにあった。担当カウンセラーに挨拶をして、職探しのサポートを依頼した。一通り話を聞くと彼女は「うちも受けてみない?」とのことだった。
留学の仕事など全く考えていなかった私はとても驚いた記憶がある。冷静になって考えたら、経験を生かせるし英語も使えるし面白いかもしれないと思い、OKと答えた。
当然、他の選択肢を数箇所あった。商社、貿易会社、メーカーなど数社にも当たったが、当時余り転職市場も無くいい結果が得られなかった。そんな中、その留学エージェントの社長といきなり面接をした。
まだ帰国したばかりで背広を実家で探せなく、ポロシャツとスラックスでの面接だった。面接内容は留学で何をしてきたかなど本当に一般的なことだけだったような記憶がある。
翌日電話がかかってきて合格なのですぐ来てほしいとのことだった。しかし他に会社を廻っていたので「1ヵ月後にしてほしい」と伝え、しぶしぶ認められた。
結局、その留学エージェントに入ったのだが、後でわかったことだが、丁度その会社は急成長の課程で、大学への留学経験があるスタッフ(特に男性)を、とても強く欲していた時期だった。だから丁度タイミングが良かったとも言える。
そこで私の留学ビジネス人生が始まったのである。1986年9月のことだ。
次は私の留学キャリアの略歴を書きたいと思う。
当初、南カリフォルニアボケで正直格好も志向も浮いていたと思う。2年ぶりの日本はお札も変わっていて、やたら外国人労働者が増えていた。
家のキッチンの高さが凄く低く感じ、以前はぜんぜん気にならなかったタバコの煙が耐えがたくなっていた。ドアに鍵がかかっていないことがとても気になり、いつも鍵を閉めまくっていた。
帰国の翌日に、約束どおり世話になった留学エージェントを尋ねた。私が利用した当時から倍の大きさになっていたが、まだ以前と同じおんぼろビルにあった。担当カウンセラーに挨拶をして、職探しのサポートを依頼した。一通り話を聞くと彼女は「うちも受けてみない?」とのことだった。
留学の仕事など全く考えていなかった私はとても驚いた記憶がある。冷静になって考えたら、経験を生かせるし英語も使えるし面白いかもしれないと思い、OKと答えた。
当然、他の選択肢を数箇所あった。商社、貿易会社、メーカーなど数社にも当たったが、当時余り転職市場も無くいい結果が得られなかった。そんな中、その留学エージェントの社長といきなり面接をした。
まだ帰国したばかりで背広を実家で探せなく、ポロシャツとスラックスでの面接だった。面接内容は留学で何をしてきたかなど本当に一般的なことだけだったような記憶がある。
翌日電話がかかってきて合格なのですぐ来てほしいとのことだった。しかし他に会社を廻っていたので「1ヵ月後にしてほしい」と伝え、しぶしぶ認められた。
結局、その留学エージェントに入ったのだが、後でわかったことだが、丁度その会社は急成長の課程で、大学への留学経験があるスタッフ(特に男性)を、とても強く欲していた時期だった。だから丁度タイミングが良かったとも言える。
そこで私の留学ビジネス人生が始まったのである。1986年9月のことだ。
次は私の留学キャリアの略歴を書きたいと思う。


